若狭の散歩道 ミニ講演会のご案内


 

日時    3月18日(日)午後1時30分~

会場   井上耕養庵茶房(小浜市南川町9-17)

演題  「壬生狂言」追跡
     ―和久里融通大念佛狂言の世界―


講師    
国立舞鶴高専人文科学科教授 
       村上 美登志 氏


会費 500円(お抹茶と季節の和菓子付き) 

参加申し込み
   人数に限りがありますので 希望者は
   下記までお申し込み下さい 

   井上耕養庵 TEL 0770-52-0199 
     E-mail    kouyouan@angel.ocn.ne.jp

 




今までの講演内
10年  3月14日 若狭の偉人 伴 信友 若狭文学会 四方吉郎氏
 4月11日 蓮如上人と小浜 妙光寺住職 山名暢雄氏
 5月16日 若狭の偉人 杉田玄白のこと 若狭文学会 四方吉郎氏
 6月20日 福井県の誕生~置県の文章を読む~ 若狭歴史民俗資料館 館長 中島辰男氏
 7月18日 謎の人 酒井忠朝 後日物語り 小浜郷土史研究会 顧問 伊藤一樹氏
 9月20日 常高院と若狭小浜 常高寺住職 沢口輝禅氏
     10月18日 風の吹いてきた村
 ~韓国船遭難救護の記録をめぐって~
泊の歴史を知る会 大森和良氏
11月15日 酒井家文庫を整理して 元小浜市立図書館 館長 小畑昭八郎氏
12月 6日 小丹生(ヲニフ)のことなど 妙光寺住職 山名暢雄氏
11年  1月24日 甘露 円照寺住職 村上宗博氏
 2月21日 「小浜旧町名」拾椎雑話をめぐって 元小浜市史編纂委員 藤田昭三氏
 3月14日 若狭の偉人 山川登美子こぼれ話 若狭文学会 四方吉郎氏
 4月18日 江戸時代の若狭①「町人の生活」 小浜市教育委員会 杉本泰俊氏
 5月23日 江戸時代の若狭②「武士の生活」 小浜市教育委員会 杉本泰俊氏
 6月27日 若狭の八百姫伝説 元小浜市立図書館 館長 小畑昭八郎氏
 7月25日 「一言」に参じる 円照寺住職 村上宗博氏
 9月25日 ブッタの言葉 明通寺住職 中嶌哲演氏
10月24日 仏像のみかた 若狭歴史民俗資料館学芸員 芝田寿朗氏
11月28日 梅田雲浜先生<虚と実と> 若狭の語り部 岡村昌二郎氏
12月12日 和田信次郎と君が代の考証 若狭文学会 四方吉郎氏
12年  1月23日 若狭の芸能~能について~ 若狭文学会 吉田正喜氏
 2月20日 足利義満と小浜 妙光寺住職 山名暢雄氏
 3月26日 豪商組屋六郎左衛門 元小浜市史編纂委員 藤田昭三氏
 4月23日 私の出会い 画家 渡辺 淳氏
 5月28日 儒者~西依成斎の人と書~ 若狭高校教諭 岸本三次氏
 6月25日 若狭の海~日本海の未来を考える~ 福井県立大学生物資源学部教授 中村 充氏
 7月23日 熊川宿~熊川の菓子~ 上中町教育委員会文化財担当 永江寿夫氏
 9月24日 組屋六郎左衛門と疱瘡神 袖ヶ浦市郷土博物館友の会会員 長谷川 弥氏
10月29日 若狭八景 若狭文学会 四方吉郎氏
11月26日 神明神社の歴史と椿 神明神社総代 若狭の語り部 澤田辰雄氏
13年  1月21日 暦から学ぶ21世紀 名田庄村暦会館 館長 藤田 義仁氏
 2月28日 御食国 若狭の史料を求めて 若狭歴史民俗資料館 嘱託 永江秀雄氏
 3月25日 最後の小浜藩主 酒井忠義 元小浜市市立図書館館長 小畑昭八郎氏
 4月22日 私の鯖街道 ~甦った根来坂~ 小浜山の会会員 杉谷長昭氏
 5月27日 戦国時代期若狭国小浜の都市景観と商人 若狭高校教諭 山名 暢氏
 6月17日 未来の医学 雑感 公立小浜病院院長 大迫文麿氏
 7月22日 若狭古建築について
      ~なぜ750年も耐えられたか~
若狭の語り部 山口文温氏
 9月23日 三匹獅子舞の起源と成り立ち 袖ヶ浦市郷土博物館友の会会員 長谷川 弥氏
10月21日 『曽我物語』から「仏舞」へ 国立舞鶴高専人文科学科教授 村上美登志氏
11月25日 小浜嗷訴見聞録 元小浜市市立図書館館長 小畑昭八郎氏
14年  1月27日 暦から学ぶ2002年 名田庄村暦会館 館長 藤田義仁氏
 2月17日 熊川宿から学ぶ まちなみ 上中町熊川宿町並み相談員 柴田 純男氏
 3月31日 シルクロード 中近東の今昔
   ~シルクロードの中にあった熊川宿~
上中町文化財保護審議会委員 宮下 市郎氏
 4月21日 これからの資産運用について
  ~知っているようで意外と知らない話~
斉藤会計事務所 税理士 斉藤清輝氏
 5月26日 おんなぶみのたのしみ
  ~常高院の手紙 東福門院の女房奉書~
袖ヶ浦市郷土博物館友の会会員 長谷川 弥氏
 6月23日 宝がいっぱいの若狭
~天孫降臨の原義「日本の始まりは若狭である」~
ドリーム&ロマンの会 村田孝義氏
 7月21日 美食国  天皇家の食卓と庶民の食卓 学校法人青池学園 専修学校
 青池クッキングカレッジ 理事長
青池睦子氏
 9月22日 宝がいっぱいの若狭
     ~若狭の山と神社 不思議な配置~
日本環太平洋学会 会員
  ドリーム&ロマンの会 講師
鶴田利忠氏
10月20日 若狭内外海半島のミコバアサン 日本民族学会会員 金田久璋氏
15年  1月26日

木簡に見る御食国若狭(みけつくに若狭)
        塩-若狭 御贄-高浜

高浜町郷土資料館学芸員 安倍義治氏
 2月23日 小浜城の成立 小浜市教育委員会 下仲隆浩氏
 3月30日 若狭の偉人 佐久間艇長 元三方町佐久間艇長顕彰会会長 小堀源治郎氏
 4月27日 大老をも動かした若き義民 松木庄左衛門 若狭歴史民俗資料館 嘱託 永江秀雄氏
 5月25日 「象が行く」について
  ~小浜は、日本で初めて象が来た町です~
若狭高等学校 教論  鈴木 治氏
11月23日 輝ける若狭の群像 添田 敬一郎 元小浜市教育長 高石 昭五氏
16年  1月25日 「恩」 ーとも生き とも死にー 青島山 海岸寺住職 石崎靖宗氏
 2月22日 江戸時代随一の国語学者 東條義門師 若狭歴史民俗資料館 嘱託 永江秀雄氏
 3月28日 歌でたずねる大島の里
      ~大島ほど面白い所はない~
前大飯町教育長 時岡兵一朗氏
 4月25日 若狭のまほろば 若狭上中町の古墳 上中町教育委員会文化財担当 永江寿夫氏
 5月30日 小浜城復元に向けて
           ~幕末の小浜城~
若狭歴史民俗資料館友の会々員 中島辰男氏
 6月27日 小浜城復元にむけて
          ~小浜城が出来るまで~
小浜市歴史遺産振興室長 杉本泰俊氏
 9月26日 若狭小浜領主 歌人 木下勝俊 郷土史家 永江秀雄氏
11月28日 郷土の生んだ明治の高僧 釈 宗演 常高寺住職  沢口輝禅師
17年  1月23日 木下勝俊(長噺子)と生母の謎 若狭の語り部 岡村昌二郎氏
 2月27日 水酉(みずとり)百話 ~日本の酒文化~ わかさ冨士 代表取締役 逸見寿一氏
 4月24日 細川幽斎と若狭 郷土史家  永江秀雄氏
 5月22日 ブータンのお話 青井山瑞雲院住職 杉本玄海師
 6月26日 最近の高校野球について思うこと 青池クッキングカレッジ校長 領家亮一氏
 7月24日 世界遺産をめざす小浜を訪ねて
     ~北海道・山形・富山を参考に~
小浜市世界遺産推進室  松澤那々子氏
11月27日 御縁について 仏国寺 原田湛玄老師
18年  1月29日 八幡神社・人と信仰 八幡神社 渡辺 隆宮司
 3月12日 足利氏と安国寺について 安国高成寺 住職  小牧浩哉師
 6月25日 若狭熊川の民俗行事など 郷土史家 永江秀雄氏
 9月17日 若狭小浜の海
   ~アマモ・マーメイドプロジェクトを通じて~

福井県立小浜水産高等学校 小坂 康之先生
10月29日 佐柿國吉城築城450年 美浜町教育委員会 大野康弘氏
11月26日 遠敷の舞々 若狭の語り部 山口文温氏
19年  1月28日 小浜湾西側半島部 ~飛梅の里~
       大島の歴史と文化につい
前大飯町文化財保護委員会会長 猿橋勝氏







 第78回  若狭の散歩道ミニ講演会
平成22年3月18日(日)



 「壬生狂言」追跡
~和久里融通大念佛狂言の世界~

        国立舞鶴高専人文学科教授 

                     文学博士  村上 美登志 氏

 


「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の壱)

 「和久里融通大念佛狂言」は、六年毎の子と午の年に奉納される。
演目内容は、左記の通りである(奉納年によっては、時間等の変更もある)。
  初日
〈午前〉「餓鬼角力」「花盗人」「炮烙割り」
    〈午後〉「とろろ滑り」「座頭の川渡り」「愛宕詣り」
        (宝塔縁起奉読)「狐釣り」「腰祈り」「寺大黒」

  中日
         〈午前〉(宝篋印塔供養)(大般若経奉読)(宝塔縁起奉読)
    〈午後〉「とろろ滑り」「狐釣り」「腰祈り」「炮烙割り」
        (宝塔縁起奉読)「寺大黒」「餓鬼角力」「花盗人」
        「座頭の川渡り」「愛宕詣り」

  楽日
〈午前〉「寺大黒」「座頭の川渡り」「愛宕詣り」
    〈午後〉「狐釣り」「花盗人」「腰祈り」(宝塔縁起奉読)
        「炮烙割り」「とろろ滑り」「餓鬼角力」


 この番組内容からも理解されるように、
初日の冒頭と楽日の最後の演目が「餓鬼角力」であるところから、
「和久里融通大念佛狂言」の本質が、
「施餓鬼(せがき)会(え)」を明確に意図したものであることが判明する。

 さらに、「宝篋印塔供養」を含め、
「宝塔縁起奉読」が三日間で五回も奉納されている。
これは、この地方の代官であった長井雅楽(うたの)介(すけ)が、
出家を果たし、朝阿(ちようあ)弥(み)(沙弥朝阿)と号して、
延文三年(一三五八)に建立した
宝篋印塔(通称市の塔)の信仰に関わるものであった。



 すなわち、この「融通大念佛狂言」を大きく捉えると、
本質的には「施餓鬼会」の開催を目したものであろうが、
その中に古くから地元の信仰を集めていた
「市の塔」の供養を絡めているものでもある。
それは、上述したように、初日・中日・楽日の午後に、
市の塔に対する「宝塔縁起奉読」が計三回組み込まれ、
さらに、中日午前には、
「宝篋印塔供養」と「宝塔縁起奉読」が行われ、
三日間で五度に亘って、
市の塔の供養が成されていることからも、それは理解されよう。







「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の弐)

〈番組〉

①「餓鬼角力」
〈登場者〉地蔵菩薩、亡者(餓鬼)二人、閻魔大王、鬼(赤・黒)二匹。

 豪勢な冠に派手な出で立ちの閻魔大王が鬼二匹を引き連れ、
足を踏み鳴らして地獄に見立てた舞台へと入場してくる。
一方、亡者たちは、
閻魔大王の威風に圧倒されて地蔵菩薩の脇に隠れ、
恐怖に慄きながら小さくなって入場して来る。


 角力は、勝負以前のもので、
鬼たちが四股を踏むだけで亡者はひっくり返ってしまう。
そこで、壬生寺の本尊である地蔵菩薩が佛に祈りを捧げると、
亡者たちに力が漲り、鬼たちを投げ飛ばしてゆく。

ふがいない鬼どもに怒った閻魔は、地蔵菩薩に勝負を挑むが、
佛の力には敵わず、打ち負かされてしまう。
喜んだ亡者たちは地蔵菩薩と共に意気揚々と引き上げて行く。
舞台に残された閻魔大王は鬼たちに怒りをぶつけながら退場していくという筋である。



この曲目が最初に置かれているのは、
「「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の壱)」でも述べたように
「施餓鬼会」の意味と、
本寺の本尊である地蔵菩薩の霊験を説くために必要であったと思われる。
すなわちこれは、始原の形を残しているものだと考えられる。


本寺の壬生寺では、冒頭に「炮烙割り」が置かれ、
末尾には、「湯立て」「棒振り」などの神事儀礼的な演目が当てられており、
壬生寺での現存曲目は宗教色をやや離れ、
滑稽な仕草を交えた大衆娯楽芸能の側面が強く、
和久里西方寺との相違は一目瞭然である。


また、壬生寺の「壬生狂言」では、
地蔵菩薩の力を説くものに、「餓鬼角力」の他、
「賽の河原」と「紅葉狩り」がある。
「紅葉狩り」は能から来たもので、
鬼女に毒酒を呑まされて、
刀を奪われた維茂を救うのが、
男山八幡末社の八幡神であるが、
壬生寺では、これが地蔵菩薩になっている。









「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の参)

〈番組〉

②「花盗人」
〈登場者〉大尽、供、盗人。

 大尽が供を連れて花見遊山に出掛けた。
花を見ながら供に酒を注がせて、大酒を呑み、寝込んでしまう。
大尽に酒を注ぐだけで呑ませてもらえなかった供は、
ここぞとばかりに酒の盗み呑みをした挙句、
酔っ払って大尽と同じく寝込んでしまう。


 そこへ、盗人が現れて大尽の金を盗み取る。
大尽は供が自分の懐に手を入れたと勘違いして、
寝ている供を叩き起こすが、これは盗人の仕業だと分かり、
盗人を捕まえる。


そして供に盗人を縛る縄を持ってくるように命じるが、
縄が近くにないため、供は窮余の策として、
藁を見つけてきてその藁を縒って縄にしようとするが、
酒に酔っているのと急かされている両方から、
気だけ焦ってなかなか縄を綯えない。


しかも、捕らえられている盗人も、
縄を作られては敵わないので邪魔をする。
ようやくのことで縄は仕上がるが、間抜けな供は、
何度も盗人を縛ることに失敗し、
挙句の果てには主人の大尽を縛ってしまう。
結局、大尽は金を取られた上に、盗人にも逃げられ、
供に怒りをぶつけながら退場していくという筋である。


 この番曲の元になるのは、「花見」の曲で、
能狂言にも「花盗人」と同名の曲があるが、
内容的に見るとこれは、「真奪(しんばい)」に最も近いものである。
千本ゑんま堂の「花盗人」は、この「真奪」そのものである。
和久里のものは、桜花の枝や太刀を奪われるものではなく、
懐の金である。


また、壬生寺のものは、『天正狂言本』の「なわなひぬす人」や
「暒物(なまぐさもの)」・「成上り」等に似てはいるが、
能狂言の「縄綯(なわない)」とは別のものである。


 ここに登場してくる大尽は、
武士か金満家の町人かよく分からないが、
場所は大蔵流「真奪」や、『狂言記』「外編」によると、東山辺りらしい。
これは今の清水寺周辺のようだ。


壬生寺のものは、あくまで「桜花」が主人公であるが、
和久里では、泥棒を捕まえてから縄を綯う、
「泥縄」の面白さを表現したものになっている。
また、鼻持ちならぬお大尽に町衆の代表である供が、
結果として邪魔をすることに主眼が置かれているのかも知れない。








和久里融通大念佛狂言」の世界(其の四)

〈番組〉

 ③「炮烙割り」
〈登場者〉役人(目代)、鞨鼓売り、炮烙売り。

 新市が開かれるため、役人が登場して、
「一番乗りをした者は、税金を免除する」という立て札を掲げる。
そして、この新市に一番乗りを果たした鞨鼓売りが立て札を見て喜び、
市が開かれるまでたっぷりと時間があるため、一眠りする。
そこへ、ひょうきんな足取りで炮烙売りが続いて登場し、
立て札を見て喜ぶが、
脇の鞨鼓売りを見て自分が二番であることに気付き、
持ち物をすり替えて、一番乗りの風をして一眠りする。


 夜が明けると、二人は一番乗りを争って大喧嘩になる。
そこへ現れた役人に裁きを委託する。
役人は二人に様々な芸をさせて決着を図ろうとするが、
判然としないため、]
役人は、最後に自分の持ち物を近くの木にぶつけることを命じる。


――困ったのは炮烙売りで、やらねば疑われ、
やれば商売道具の炮烙が割れて、事が露見するので、
ノラリクラリかわしていると、
痺れを切らした役人と鞨鼓売りに突き飛ばされ、
炮烙を打ち砕かれてしまう。
鞨鼓売りは、免税の許可を受けて喜び、炮烙売りは、
売り物を無くし、二者は好対照で舞台を去っていくという筋である。



 壬生寺では、四月の大念佛会の期間中、
九度も演じられるご祝儀物で、
厄払いの呪術の一つである。
始めの筋は「羅生門」に似ており、
かつては芸尽くしで観客を楽しませたことが知られている。


今も若干の名残はあるものの、往昔は、逆立ち、横転を含め、
舞台狭しと繰り出す曲芸のオンパレードであったというが、
時代と共に能芸能の形に近くなり、
膨大な数の炮烙を割ることが重要になっていったといえよう。
また、これは「愛宕参り」の「かわらけ投げ」の土器割りに起源を持つと思われる。


 和久里でも割れた炮烙にご利益があると信じられ、
僅か一枚の炮烙を子供達が争って奪いあっている。








「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の五)


〈番組〉

④「とろろ滑り」
〈登場者〉大尽、供(奴)、茶屋の女将。

 桜花舞う春たけなわの昼下がりのことである。
茶屋の女将が名物のとろろ汁を作っているところへ、
供を従えた大尽が花見遊山で茶屋へやってくる。

女将を相手に、店の名物のとろろ汁で一杯やるうちに、
酒が回り、大尽は女将と共寝をしてしまう
(この共寝は和久里独特のものである)。


これを見た供は、ここぞとばかりに寝入った二人を余所に、
樽酒の全てを呑み干してしまう。
酔いが回った状態で、
とろろの入った擂り鉢を舐め始めるが、
擂り鉢を持ったまま、ひっくり返ってしまう。


 この音に驚いた大尽と女将は目覚めるのだが、
床一面に撒き散らされたとろろに足を取られ一同は何度ももんどり打って転ぶ。
供は、謝りながら大尽と共に、
とろろに足を取られながら退場していくという筋である。


 壬生寺では、これを「山端(やまばな)とろろ」と称し、
若狭・近江へ通じる八瀬・大原の街道の基点である
山端の「平八茶屋」が舞台となっている。
千本ゑんま堂ではこれを、「芋汁」と称している。
また、和久里が登場人物三名の省略されたものであるのに対し、
壬生寺のものは、下男(とくす)、番戸、
さらに衣類を盗ろうとする盗人などが登場し、
筋は和久里のものより複雑である。



 壬生狂言のものは、かつて「山端」と「とろろ滑り」の二曲があって、
それが一曲になったのではないかと考えられているが、
現時点では不明とせざるを得ない。








「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の六)

〈番組〉

 ⑤「座頭の川渡り」
〈登場者〉座頭(頭・弟子)二名、悪人。

 春になり暖かくなってきたので、野外で酒を呑もうと、
座頭の頭(親分)と弟子(子分)が、川辺の野に出向き、
そこで酒を呑んでいるところへ悪人がやって来る。
美味そうに酒を呑んでいる二人を見るや悪人は、
盗み酒を考え付く。


 弟子の注ぐ酒を、頭が盃を持って待つのだが、
悪人に横取りされているため、いくら待っても、酒が呑めない。
何度注いでも同じことの繰り返しで、二人が不思議がっていると、
今度は二人の頭をぶつけられてしまう。


しかたなく、家に帰ろうとするのだが、
途中で川を渡らなければならない。
弟子が座頭の頭を背負って川を渡ろうとするが、
ここでも悪人が邪魔をして、
頭に成り済まし、弟子に背負われ向こう岸へ行ってしまう。


頭は訳が分からず弟子を探すが、
弟子は頭が向こう岸で探していることに気付き、
訝りながらも引き返して頭を再び背負おうとするのであるが、
悪人がまた、弟子の足元に石を置いて二人の邪魔をする。


二人が石に躓きひっくり返るのを見て大笑いする。
 弟子はここで始めて悪人に気付き、探し回るが、
頭は悪人のいることを知らないため、
弟子を叱りつけながら退場していくという筋である。



 これは、現在、壬生寺には伝わっていないが、
残された資料等から、壬生寺で江戸時代中期頃に廃曲になる以前は、
「盲の川渡り」として上演されていたことがわかる。


これは、「座頭狂言」のジャンルに分類されているもので、
内容的には、「丼礑(どぶかっちり)」と
「月見座頭」の酒、「鞠座頭」の三つの要素を取り入れている。
和久里以外でこの番曲が消えていった理由の一つに、
差別に繫がることと、
逆説法じみて内容がよく分からなくなったからではないか、
などと言われているものであるが、
「座頭狂言」では、約束事として、
盲人は晴眼者にいたぶられることが普通の形であり、
倫理観の変化とは考えにくく、
むしろ、
壬生寺が江戸期に未曾有の流行を見た、
「夜討曽我」などの所謂『曽我物語』の「曽我物」等を演目に取り入れていく中で、
いま一つ人気のない該曲が外されていったと考えるべきであろう。








「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の七)

〈番組〉

 ⑥「愛宕詣り」
〈登場者〉大尽、供、母、娘、女中二人。

 和久里の西にある愛宕山には、
火の神が祀られていて、火除けの信仰を集めていた。
往昔の参道には、数多くの茶屋が競うように並び、
中には土器(かわらけ)投げを楽しむ所もあった。
本曲では、煎餅を土器に見立てて投げられる。


 話は、愛宕山の神社に詣でた帰り道、
茶屋で一休みしている母と娘がいる。
そこへ、大尽が供を連れてやってくる。


女中からお茶をもらい一服したあと、土器投げを楽しむ。
その後、ふと茶店にいる娘に目を留めた。
手拭いで顔を隠しているが、
美しい身なりからして相当な美人だと勝手に思い込む。


 さっそく、供を介して娘を妻に貰いたいと母親に交渉させる。
母親を口説くが、欲深い母親は、その条件として、
大尽の金、刀、羽織を次々と奪ってゆき、
最後は供の着物まで要求する。


供は途方に暮れるが、
大尽の命とあらば仕方なく着物を母親に差し出す。
全てを剥ぎ取った母親は早々と帰ってしまう。
供も娘を大尽に渡すと帰ってゆく。


 大尽は娘を手に入れ、
手拭いで隠された顔を覗き込むのであるが、
その醜さに驚いてしまう。美女ではなく、
とんでもないお多福だったのだ。


大尽は這這の体で逃げ出すが、
娘は逃がしてなるものかと大尽を追いかけるという筋である。



 該曲は、「大原女(おはらめ)」に近いものがあり、
壬生寺の「愛宕参り」では、
死者供養、
とくに非業の死を遂げた名もない庶民の供養として捧げられている。


 時として、笑いは神佛の力を増す。
お多福も火吹男(ひよっとこ)も祝言の目出度い存在で、
土器に見立てた煎餅投げも邪悪な魔を祓う厄除けの呪術であり、
神々の神饌となるのである。






「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の八)


〈番組〉

 ⑦「狐釣り」(通常、和久里以外では「釣り狐」と称されている)
〈登場者〉老(古)狐、狩人頭、狩人二人。

 一匹の老狐が、辺りを警戒しながら通り過ぎて行く。
そこへ罠を持った狩人の頭と二人の狩人がやってくる。
罠を仕掛けて物陰に隠れ、獲物が掛かるのを待つこと暫し。
そこへ老狐は、僧侶に化けて狩人達の前に現れてくる。
老狐は術をかけ、狩人達を自由に操り始める。


 すなわち、狐のようにピョンピョン跳ねさせたり、
糞を食べさせたり、挙句の果てには、馬にさせられ、
それに打ち跨った老狐は、
御幣を振りながら揚々と退場してゆくという筋である。



 現在、壬生寺で該曲は上演されていないが、
壬生寺の江戸中期の古記録に留められている
六十曲の中に「釣り狐」の曲名が見えるので、
往古には上演されていたことが分かる。


これは、所謂「雑狂言」とか「集(あつめ)狂言」のジャンルに分類されるもので、
それらの省略された形のものである。

壬生寺で「釣り狐」が江戸中期以降に廃曲になったのは、
現行曲の「玉藻前」で、
猟師と猟師の伯父に化けた古狐のやりとりなど、
そのカタリのほとんどが「玉藻前」と同じものなので、
重複を嫌って、壬生寺では廃曲となり、
「玉藻前」の番曲を持たない和久里に「狐釣り」が残ったのだと考えられる。
また、宗派によっては、狐は神とされていることも忘れてはならない。







「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の九)

〈番組〉

 ⑧「腰祈り」
〈登場者〉老女、供、山伏。

老女が寺参りに行く途次、石に躓いて転び、
立ち上がれなくなってしまう

(しかし、石に躓いて倒れるまでは、
供がひょうきんな仕草で観客の笑いを誘い、
老女は老女で、立ち小便をし、陰部を紙で拭いて、
その紙の臭いを嗅いでから紙を右手前方に投げ捨てるなど、
リアルな表現で観客を沸かせている)。


供は、大慌てで老女を起こそうとするが、起き上がらせることが出来ない。


ちょうどそこへ、うまい具合に山伏が通りかかる。
供は、山伏に老女の立たなくなった腰を直して欲しいと懇願する。
山伏は早速、数珠を揉みながら祈り始める。
すると間もなく老女の腰が少しずつ起き上がってくる。


しかし、呪力が強すぎたせいか、老女は立ち上がったものの、
後ろへそっくり返ってしまう。驚いた供は、
今度は後ろから祈って腰を真っ直ぐにして欲しいと頼む。


そうして何度も前や後ろに倒れ過ぎるため、
供は老女の杖で腰につっかえ棒をする。
しかし、そうこうする内にそのつっかえ棒を誤って、
老女の股間に差し込んでしまう。
山伏はそのつっかえ棒になっている杖を外すと見せかけて、
左右に振り回し、
最後には老女を横倒しにしてしまうという筋である。



「「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の六・八)」でも述べたように、
「座頭の川渡り」と「狐釣り」は、
往古に壬生寺で上演されていたが、
現在、この「腰祈り」は、壬生寺の古記録にも、
嵯峨釈迦堂、千本ゑんま堂、
神泉苑等の曲目にも見えない和久里独自のものとなっている。


該曲は、「山伏狂言」のジャンルに入るもので、
「能狂言」の中にもこの曲はあり、
よく知られているものの一つであるが、
和久里では老翁が老女に変わっていて、
「能狂言」にはない、
老女の「立ち小便」が加えられており、
壬生狂言の「大原女」の母親が「立ち小便」するものとそこは同じである。







「和久里融通大念佛狂言」の世界(其の十)


〈番組〉

 ⑨「寺大黒」
〈登場者〉僧侶、大黒(妻)、大尽(旦那)、供。

 「大黒」とは、僧侶の妻を俗称したものである。
本曲は、妻帯してはいけない僧侶が妻を持ち、
子までもうけたため、
寺を追い出されるという悲劇の話であるが、
何故か笑える。


 若い住職が、
大黒さんに抱かれた赤子を風車であやしながら、帰ってくる。
そこへ檀家の総代である大尽が供を連れて、
寺へ本尊を拝みにやってきた。
見つかれば大変なことになるので、大黒と赤子を、
本尊を安置してある厨子の中へと隠す。

しかし、大尽は本尊を拝むため厨子を開けろと迫る。
開ければ全てが露見してしまうので、
やれ、お布施の額が少ないなどと言いくるめて追い返すのであるが、
大尽達は、帰路で今日の僧侶は様子がおかしいと気付き、
供は大尽の袖を引いて寺へと引き返す。


寺に着くなり、供が厨子の扉を開けて、
とうとう妻子持ちであることが露見してしまう。
住職はひたすら謝るが大尽はそれを許さず、
僧侶の着物を剥ぎ取った上に、
背に赤子、唐傘、風車を括りつけて寺を追い出してしまう。
泣き崩れる女房は、供が引っ立て、
同じく寺を追い出してしまうという筋である。



 壬生寺では、「大黒狩り」として上演されており、
他には、「道念」とか「性悪坊主」などとも称されていた。
僧侶が下着姿で、
傘と赤子と風車を括りつけられて引き立てられる様は悲惨であるが、
思わず笑いがこみ上げて来るもので、
これはこれで鎮魂の儀式がそこに内包されているのである。
本曲は、「寺」という場所空間での滑稽さがこの狂言の救いであり、
生命線であろう。






 また、和久里の地名は、
「和栗」からきたとする説もあるが、
和久里の「和」は、
「神の子を宿す巫女名に由来」するという興味深い説がある。
かつて和久里近辺の遠敷(おにゅう)郡遠敷村字舞々(まいまい)谷は、
十余戸の住民全てが舞々であった。


舞の時に唱える音曲も全て越前幸若の流儀であったというが、
意外にもこの事はほとんど知られていない。
このように、和久里は、謎に包まれた部分が多いのである。

たとえば、和久里に近い名田庄に安倍晴明の子孫が移り住んで、
そこを活動拠点にしていたことや、
和久里の隣に位置する多田寺の寺領内に眠る、
虎御前や曽我十郎・五郎の墓の存在ともども、
解明すべきことは、「和久里融通大念佛狂言」に止まらず、
まだまだこの地に山積していると言えるのである。




国立舞鶴高専人文科学科 教授

文学博士 村上 美登志




美しい若狭を守り伝えたい・・・・









御食国 若狭小浜

そんな、伝統文化を守る子供たちに

小浜から・・・

日本から・・・

世界中から・・・

大きな拍手を お願いします。


郷土文化を守る活動

〈郷土研究クラブ〉

小浜市和久里の今富学校では、ふるさと学習にがんばっています。 

2012年2月23日

地域の甚六会・保存会の皆さんの応援を得て、

郷土研究クラブ「いきいき壬生狂言クラブ」の

壬生狂言発表会が開かれました。

この日のために24名の子供たちは1年間練習してきたそうですが、

練習の甲斐あってか自信に溢れた演技と、心に響くお囃子でした。






 2月23日の発表会では「餓鬼角力」「花盗人」が演じられました。

どちらもわかり易くてコミカルな動きが楽しい作品です。

子ども達の大人顔負けの熱演に会場中は拍手喝采でした。




2月23日発表会 カーテンコール

子供達の熱演の様子はこちらでチエック!!



餓鬼角力あらすじ





鬼対餓鬼(亡者)の角力(相撲)勝負

いつもは鬼が四股を踏むだけでひっくり返る餓鬼達ですが、

地蔵菩薩の祈りによって鬼たちを次々に投げ飛ばしてゆきます。

鬼達のふがいなさに怒った閻魔大王

地蔵菩薩に勝負を挑むもあっさり打ち負かされてします。





地蔵菩薩の霊験を分かり易く 説くためのお話です。







花盗人あらすじ



大尽が共を連れて花見遊山に出掛けます。

花を見ながら大酒を飲み、酔い潰れてしまいます。

酒を注ぐだけで飲ませてもらえなかった共は、

ここぞとばかりに酒を飲みやっぱり酔い潰れてしまいます。

そこへ現れた盗人をなんとか捕まえたものの、

全員酔っぱらっているので結局にげられてしまいます。

大尽は大金を取られた上に、盗人にも逃げられてしまうのでした。





泥棒を捕まえてから縄を綯う、「泥縄」の面白さを表現した作品です。






ふるさとの伝統文化を応援する地域の皆さん





美しい若狭を守り伝えたい・・・・