安倍晴明(土御門)暦


延喜式(紀一、五六五)陰陽寮に
「巳ノ上納二御暦ヲ」とある、陰陽寮とは、
天文、造暦、陰陽学漏刻を司る宮中の中務省に属寸る役所で
その頭(長官)には陰陽、天文、暦博士の称号を有す安倍晴明公は
(土御門の祖)平安朝の大学者で、
天文暦、陰陽博士の称号を賜陰陽頭に任ぜられ、
以来土御門家は五十数代この栄誉を冠せられ、
土御門家で暦作して朝廷に毎年巳の日
御暦を上奏し勅許を得て全国領布されたのである、
従て吾国の作暦は土御門家が踏襲し、
平安朝から明治初年迄家職として斯道権威者で我国最古、
最高峰の暦の元祖であったのである。


〜都から名田庄へ

美母呂のみち




若狭への道

ここは名田荘堀越の峠  京の都の北端 若狭の国の南端

丹波山脈をはしる 国境の稜線山また山 谷また谷の路

この道は京の都から 若狭の海に向かう 主なる街道

丹後、近江とも交わりあう 重要な道 

平城京の 古から 文化をむすぶ 唐土や韓の国との 要の道




八百歳の 歳月を経て

いま懐かしき 若狭の国 名田荘 上村

納田終 白矢のさとを想う

こは都忘れじの里 わが館跡




また この里は 水も清く澄み

蛍の飛び交うさまは ただただ目を見張るばかり

いずれの谷にも そこここの小川にも

夏の夜の 光の乱舞が見られたのでございます


私どもの屋敷の庭にも 夏ともなれば 夜ごとの 光の宴に 心休む思いでございました



                星と祈りと暦の里〜




 天冑地府祭属星祈願祭  2月4日 立春
 名田庄村  天社土御門神道本庁




美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・