江戸時代随一の国語学者
東條義門師に学ぶ



                       若狭歴史民俗資料館 嘱託 永江秀雄先生 

一、義門の生い立ち
              遠祖 三浦市郎左衛門良興 三河国吉良荘東條の人

               徳川家康の塵下(旗本) 後に出家し東本願寺門主 教如上人に帰依

           東條の姓は、明治五年から右の地名によりつけられた。 (一時、三浦姓)

           義門自身ぱ「妙玄寺義門」「釈義門」などといい、法名「霊傳」といった。

           妙玄寺は酒井忠利の実母 妙玄尼公を開基とす、 初代住職は良興(敬智)の孫 敬伝

           義門ぱ妙玄寺七世住職 天明六年七月七日生〜天保一四年八月一五日寂(五十八歳)

                 
                                   (1786)   〜     (1843)   


二、国語学上の主な業績・著述
            (一)文法(特に活用)の研究

                 「和語説ノ略図」「活語指南」等

            (二)音韻の研究
                   
                   「男信」「於乎軽重義」等

            (三)真宗聖教の研究

                   「真宗聖教和語説」 「末代無智御文和語説」等


江戸時代の俸大な国語学者、義門の業績は甚だ多いが、
特に「活用形」の研究とともに、
この「信心」に発する音韻(おんいん)の研究が有名である。

中国から伝わった漢字には、
末尾が「ン」と発音される文字が極めて多いが、
今これを仮にローマ字で書くと、
同じンでもnの音とmの音の別があり、
このnを「ン」、mを「ム」と書き分けられていることを、
義門師は論証されたのである。





三、義門の人となり
                研究の目的(「真宗聖教和語説」にいう)

               一、為秒弁二語意故二為防止他諺故三為或関法義故

             「妙玄寺歴世系譜」 (逢伝 記)

              性誠懇貞亮節倫端分廉約克己。居常貧贋曇如耽言。家元私財有書数百巻

             「義門師の面影」(多屋頼俊博士)より

               証明寺ぱ琴ひく、願慶寺は三味ひく、妙玄寺ほ糸ひく



四、郷土における研究資料
                   早瀬村 (美浜町) 浄妙寺

                   飛川村 (小浜市中井) 西広寺

                   下吉田村 (上中町下吉田) 永願寺

                   脇袋村 (上中町脇袋)  法順寺





この妙玄寺の近くには、今も願慶寺・証明寺という真宗寺院がある。

その当時、この辺りでは
「証明寺は琴ひく、願慶寺は三味(しゃみ)ひく、妙玄寺は糸ひく」
と、はやしたとい話がある。
妙玄寺では夫人も内職をして苦しい家計をささえ、
義門の研究が続けられた。






金銭や名利を全く度外視し、ひたすら真実を求め
学問に精進して、世に貢献された義門でありあった。

言の葉の道の大先達である師の生きざまを思い、
わが身につまされて涙させられることがある








美しい若狭を守り伝えたい・・・・