「略歴」
明治4年(1871)
8月28日 旧小浜藩士添田良平の長男として出生
遠敷郡雲濱村
明治27年 第三高等学校卒業
明治31年 東京大学法学部卒業 高文合格
明治31年より 内務省入省,内務属,兵庫県属,同参事官
明治35年より 大分.熊本各県警察部長,山梨.滋賀各県内務部長
大正2年より 崎玉・山梨・山形各県知事
大正6年12月 内務省地方局長
大正12年〜昭和20年 衆議院議員当選7回
立憲政友会→政友本党→立憲民政党→翼賛政治会→大日本政治会→日本進歩党
民政党総務,政調会長 顧問
大正15年 雲城会長
大正13年 雲浜奨学会理事
昭和9年 文部政務次官 (岡田内閣)
労組法案(昭6) 国民健療保険法案
住宅営団法案 貸家組合法案
医療保護法案 労働組含法案(昭20)
財団法人協調会会長, 住宅営団理事長, 勤労者教育中央会長
中央社会事業協会理事 ,済生会理事
衆議院国民保険法案 ,医療保護法案, 労働組合法案等特別委員長
昭和21年 公職追放
昭和26年 同解除
昭和28年10月20日 没83歳
父 添田良平
旧小浜藩土 大飯郡長 滋賀県神崎郡長
弟(養子) 添田 滋
三菱地所杜長(昭和24〜27年)
<郷土の為に>
大正15年から昭和4年まで雲城会長に就任し、
郷土出身者の中心となって活躍し、
雲浜奨学会の理事として郷土の後輩の育成にも全力をあげた。
雲城会長 雲浜奨学会理事
三一会
人間味の養成が人生の第一義であり、
自己の信念を貫くところに人間の俸大さがある。
頼るべきは、自己の信念のみであるとよく言っていたが、
人に親切で、結婚や就職,身上相談等熱心に世話をした。
福井県から代議士に選出された後は、
いっそう県民の中にとけこみ、
農山漁村の諸問題や港湾修築工場誘致をはじめ、
青牡年の教育にも情熱を燃やし、郷土の繁栄に努カした。
小浜・高浜漁港 鳥羽川改修 工場誘致 小浜町都市計画 高浜営団住宅