郷土の生んだ明治の高僧
釈 宗演
常高寺住職 沢口輝禅師
安政六年(一八五九)一二月一八日、
宗演は若狭高浜(福井県大飯郡高浜町)の
若宮・一瀬五右衛門家の二男として生を受ける。
兄は忠太郎といい、幼年の頃から若狭小浜の
常高寺(京極高次室、常高院お初の墓所)へ
寄留しては龍田和尚や貫道和尚の薫陶を受けていた。
もともと兄の方が出家の志を持っていたが、
長男であったため弟の宗演にその
夢を託して「高僧になれ」と言って送りだしたという。
一〇歳にして一瀬家の親戚筋にあたる妙心寺派管長、
越渓守謙のもとで出家し僧籍に入ります。
諾所での修行を経たのち鎌倉円覚寺派管長洪川宗温に師事します。
洪川は彼の才を認め自らの後継者にと嘱望し、
越渓へ禅師を弟子に迎えたいと申し出ることになります。
洪川の印可証明を受けた後、
慶応義塾に入学、更にはセイロンヘの留学、
欧米への布教と禅師の人生はめまぐるしく過ぎていきます。
その生涯を辿ると、
「自分の人生は本当にこれで良いのだろうか?」との問いかけが絶えずなされ、
今の自分より更に高みへと自らを叱咤されていたことが分かります。
高浜町郷土資料館展示図録表紙写真より
明治の高僧 釈宗演禅師 略年表
安政6 | 1859 | 12月18日 高浜町若宮で生まれる 父一瀬五右衛門 母安子 幼名 常次郎 |
明治3年 | 1870 | 10歳 京都妙心寺 妙心僧堂師家 釈越渓禅師(高浜町三明出身)について出家 その後、愛知県稲沢市の長光寺、 名古屋市の泰雲寺等へ預けられ、 越渓禅師が妙心寺派管長となるに及んで侍香となる |
明治9年 | 1876 | 16歳 天台宗 三井寺で倶舎論の講義を聞く |
明治10年 | 1877 | 17歳 岡山 曹源寺の儀山善来禅師 (大飯町大島出身)に参ずる |
明治11年 | 1878 | 鎌倉円覚寺専門道場にて今北洪川禅師に参禅苦修 |
明治15年 | 1882 | 23歳 洪川師の印可を受ける |
明治16年 | 1883 | 24歳 洪川師、越渓師に乞うて宗演を弟子とする 円覚寺派に転派 |
明治17年 | 1884 | 円覚寺塔頭仏日庵住職となり、 洪川より洪嶽の道号を授与さる 越渓示寂 |
明治18年 | 1885 | 26歳 慶応義塾別科に入学(3年間) |
明治20年 | 1887 | 28歳 セイロン(スリランカ)留学 「西遊日記」「セイロン志」 |
明治22年 | 1889 | 29歳シャム(タイ)、上海を巡り10月に帰国 |
明治24年 | 1891 | 31歳 鈴木大拙、西田幾多郎が洪川に参禅、 洪川示寂後は宗演に参禅 |
明治25年 | 1892 | 洪川示寂、円覚寺派管長に 就任円覚僧堂師家を兼ねる |
明治26年 | 1893 | 33歳 8月シカゴのバンコク宗教大会に 日本仏教代表として出席 9月18日「仏教の要旨並びに因果法」講演 |
明治27年 | 1894 | 34歳 夏目漱石参禅 |
明治28年 | 1895 | 35歳 大拙渡米 |
明治36年 | 1903 | 43歳 建長寺派管長を兼任 |
明治37年 | 1904 | 日露戦争勃発し従軍布教師となり、 4月出発7月帰着 |
明治38年 | 1905 | 45歳 米国布教のため、5月 建長、円覚寺両派管長を辞し、 東慶寺に移る 6月、横浜を出発、7月 サンフランシスコ到着 旧知のラッセル夫人宅へ投宿 四十二章経の講義など 大拙、通訳として活躍 |
明治39年 | 1906 | 45歳 4月ロンドンへ ベルリン、ベニスを経て 7月セイロンへ更にインドを経て9月、鎌倉に帰る |
各地において坐禅会等に招かれ指導 | ||
明治44年 | 1911 | 51歳 10月〜11月朝鮮巡錫 |
明治45年 | 1912 | 52歳 満州巡錫 各地で講演 11月 若狭へ 高浜にて亡母の墓参り、 小浜常高寺の先住富山和尚の掩土仏事を務める |
大正3年 | 1914 | 54歳 臨済宗大学(現 花園大学)学長に就任 (大正6年まで) |
大正5年 | 1916 | 56歳 円覚寺派管長に再任 12月、夏目漱石の葬儀で導師を務める |
大正6年 | 1917 | 57歳 支那巡錫(9月〜11月) |
大正8年 | 1919 | 59歳 11月1日 示寂 |
日本人僧侶として初めて「禅」を「ZEN」として
欧米に伝えた禅師は「偉大な宗教家」との評価を受け
その業績は白身の強固な意志と仏教を
極めんとする情熱に端を発していますが、
その周囲を彩った人々も忘れることはできません。
禅師を盛り立て手を差し伸べた多くの著名人や、
その徳を慕って集った政治家、文化人たちです。
禅師には人を惹き付ける強烈な
何かがあったのだと思います。
動乱の幕末から明治、大正の三時代を駆け抜けた
郷土の偉人釈宗演禅師を私たちは、
伝えるべきと思います。
常高寺16世富山泰和尚 津送掩土法語 洪嶽宗演 | 越渓禅師書 常高寺書院 |
凌霄山 常高寺
臨済宗妙心寺派
常高院菩提所
母はお市の方、姉は淀君、そして妹は将軍秀忠の妻お江。
姉と妹、豊臣と徳川の間で揺れ動いたお初(常高院)
お初の方(常高院) | 常高院墓塔(常高寺) |
http://www10.ocn.ne.jp/~joukouji/
美しい若狭を守り伝えたい・・・・