『象が行く』その8
象が歩いたであろう道を推理してきましたが、具体的な史実を書くことで、
その存在を改めて明らかにしたいと思います。
元亀元年(一五七〇)、織田信長は朝倉義景を討つため、敦賀に兵を進めました。
しかし、浅井長政が、挟み撃ちを企てたます。これを救ったのが、
信長が妹のお市と言われています。袋に小豆を入れ、
両端をむすんでこの危機を知らせたのでした。
信長は、秀吉をしんがりにして、京に逃げ帰ります。
この時、徳川家康は小浜にいました。彼も逃げ帰るのですが、
その様子の記述が、「若狭郡県志」にあります。
「元亀元年織田信長公於越前敦賀 朝倉氏与戦 東照大
神君 亦其行 従 玉 其帰路大神君小浜蓮興寺 宿玉 而
後根来村自針畑峠 経朽木谷 出 而入−洛 玉 云 」
この本の信憑性については、評価されてないところもあり、細部で問題もありますが、
家康軍がここを越えたのは事実のようです。
また、相当な兵力が動いたとするのが、この場合は妥当であろうと思います。
したがって、道としての存在は確かなものだったと言えます。
(治)
美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・