ようこそ若狭小浜 耕養庵へ





 髪ながき少女と うまれししろ百合に
         額は伏せつつ君を こそ思へ



「山川登美子」




 小浜の生んだ明星の歌人山川登美子(本名富)は、
明治十二年七月十九日
福井県遠敷郡竹原村(現在の小浜市千種)に生れた。



父貞蔵は小浜藩酒井家の重職にあり、
登美子は厳格な士族の娘として育てられた。
小学校(現在の雲浜小学校)を優秀な成績で卒業、
この頃から琴など習いごとをはじめていた。



明治二十八年四月大阪の梅花女学校に入学、
すぐ上の姉みちの母校でもあり、
長女のいよが大阪に嫁いで居たこともあって、
預けるのに都合がよかったからであろう。



父貞蔵は和歌をたしなみ時々歌会を開いていた事もあり、
登美子には歌に対する素養が育まれていたと思われる。 
歌を詠みはじめたのは梅花女学校卒業後の頃からである。




明治三十三年夏
与謝野鉄幹、鳳晶子と初めて浜寺で出会ったことから
本格的な歌の道に一歩をふみだした。



明星の歌人として
晶子と並び称されるようになったのはこの頃からである。




               登美子倶楽部しろゆりの会会員 

                           玉井令子






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