『象が行く』
その7
応永十五年(一四〇八)六月二十二日、若狭小浜に着いた黒象一頭が、
どの道を通って京に行ったのかは、今のところ判っていません。
このシリーズでは、江戸時代に書かれた「稚狭考」(一七六七)を読んで、
当時の道路事情というものをみてきました。その結果判ったことは、
今日と江戸時代とでは、交通手段の違いから、
距離に対する考え方が異なるということです。今日では距離的に近くとも、
道が悪ければ避けますが、当時は、距離が短ければ、道が悪くともよい、
が基本だったようです。従って、山道も意に介さなかったようです。
では、象の来た当時と、江戸時代とではどう違ったでしょうか。
交通手段にそれほど変化がありませんから、
ほとんど考え方は違わないのではないでしょうか。
とすると、「稚狭考」から推理できることになります。
「稚狭考」を読む限り、それぞれ行き先によって道が決められていたようです。
経験的に、最短距離が判っていたということです。
それによれば、小浜、遠敷、下根来、上根来、針畑峠、小入谷、小川、久多、花背、鞍馬、出町柳
という道が考えられます。
この道を通って、京に入ったものと思われます。
鈴木治
美しい若狭を守り伝えたい・・・・