『象が来た』
番外
象が来た頃の古津は、どんなところだったのでしょうか。
「稚狭考」第五に、次のような記述が見られます。
「古津村西津の東にあり、此古津昔の都会にやしらす。
一色氏の頃まて古津に舘にてもありしや、
一色氏に西の御所といふ事[守護代記]にあり。
甲か崎海龍寺の前に唐船来りしともいひ伝へり、
又一説に大島は元来廻海にて和田村との中間潮汐通せしといへり。
さすれは其頃は小浜の湊は荒磯にて船繋もならすして、
古津を湊にてありしなるへし」
一色氏の名がありますが、貞治五年(一三六六)から
永享一二年(一四四〇)まで、四代七五年間にわたり
若狭の守護職を務めています。
象はこの間に来たことになります。
そしてなにより古津には、
一色氏の西の御所とも言うべき舘があり、
開けた場所であったことがわかります。
また、北川と南川の流れもあってか、
小浜湾の潮は時計と反対の流れのようです。
当時としては、この海流は意外と激しく、
小浜の湊は船を繋ぐこともままならぬほどに、
荒かったようです。
それに対し、古津は波静かな良港であったことがうかがえます。
鈴木治
美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・