『象が行く』
その6
「稚狭考」が書かれた時代(一七六七)の事ですが、
「伊勢にゆくもの、今津通り滋賀郡堅田より東湖すけこの浜へ乗船す。
大津へ廻るとはその道大きに近し。
高島郡木津、今津より東湖への乗船は道遠し。
享保(一七一六〜三五)の中頃よりして丹後の人も小浜に来り、
堅田へ出て東湖にわたれり」
とその五巻にあります。
この場合、木津今津と堅田の間を、現代人なら歩かなくてすむとして、
多少遠くなっても船に乗るでしょう。
しかし、船は天候に左右されることがあるにしても、
当時の人は、近いということをまず第一にしたようです。
そして、行き先によって、道を使い分けていたこともよく分かります。
「江州高島郡久多嶺堺として鞍馬口より九里也、
此嶺より根来通り遠敷へ出て小浜へ九里半余といへり」
と四巻の「稚狭考」にありますが、
京へは此の道が一番近かったようで、象が行ったのは確かなようです。
鈴木治
美しい若狭を守り伝えたい・・・・