『象が行く』
その4
小浜に象が着いた応永十五年(一四〇八)頃は、
京への道はどうだったのでしょうか。
今日の私たちの感覚では、大津のバイパスができる前なら、
京都へは、いわゆる保坂を越え、今津に出て、
湖西を浜大津にまで行き、
逢坂山を越えるという道を考えます。
そして、その延長線上で、参勤交代は、
浜大津から東海道を通ったものと思います。
しかし、実際はそうでなかったようで敦賀の
「金山を過て、近江柳ヶ瀬、美濃国関原へ出て、東海道・木曾街道へ分る。
此道法百弐拾八里九丁」
「木曽路を行は百三十八里半十一丁也」
と、「稚狭考」四巻では書いています。
若狭の殿様は、一世に一度、大津の倉を巡見したそうです。
その時は、熊川から大津へ出て桑名に出たと
「稚狭考」に書いています。
この距離は「伊勢廻りといふて百四十六里壱丁也」とあります。
車社会でない時代の人にとって、
道のりを少なくしたいという思いは強かったようです。
当然、象は最短距離を行ったものと考えられます。
鈴木治
美しい若狭を守り伝えたい・・・・・