(小浜市民憲章 前文より)
御食国(みけつくに)若狭
若狭は、古代大和朝廷のころには、
朝廷に食材を貢進する国の一つでした。それを御食国といいます。
当時、若狭を治めていた豪族は膳臣(かしわでのおみ)といい、
朝廷の食事を用意する役職を意味していました。
奈良時代では、
平城京跡からたくさんの木簡(木の荷札)が発掘されていますが、
その中に若狭から送られた塩や魚の荷札がたくさんあり、
若狭が豊富な食材を届けた国であったことが示されています。
中でも「御贄貽貝鮓(みにえいがいすし)」とか
「田比煮(たひに)(鯛の煮物)」などと書かれたものもあります。
平安時代以降も京の都へ多くの食材が運ばれました。
その食材は「若狭もの」といわれ、京都の食卓をにぎわしてきました。
若狭のグヂ、若狭かれい、サバ寿司などが有名で、
それを運んだ道を、今では「サバ街道」などと呼んでいます。
小浜市では、こうした食文化の伝統をいかして、
いま食のまちづくりを進めています。
平成十五年に開催される「若狭路博」も、
こうした伝統ある食文化を全国に紹介する行事となるはずです。
四方吉郎
美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・
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