若狭会古





お初(常高院)  慈愛の寺へ

                  参りましょうか





    
浪音淋しく 


 「常高寺からはほど遠からぬところに千本格子の一画があった。

人も子供もあまり見えない。

ひっそりとしたたたずまいが別天地のようで、

端唄かなにか習っている三味の音がこぼれるように伝わってくる。

自動車がやっと通れるぐらいの狭い路である。



格子の硝子戸一枚の入口に

「小料理」と読める小さな表札が、

どこの家にもかけてあった。

深閑とした特殊な雰囲気である。」

 上田都史氏の「放哉転転漂泊」の

「千本格子の女」の書き出しは、こう始まっている。





昭和四十八年、

テレビ番組「遠くへ行きたい」の取材にカメラ同行、

俳優渡辺文雄氏らと小浜に来られたものらしい。




  浪音淋しく三味やめさせて居る  放哉

の句碑は当時まだ建ってはいなかった。



 放哉没後の大正十五年六月に

放哉俳句集「大空」を荻原井泉水が発刊

(この年四月七日に小豆島土庄で放哉没、直後の刊行といえる)

その「小浜にて」六十三句にこの二句はある。



 浪音句碑は平成四年五月建立。



四年後の平成八年、鎌倉荻原海一氏宅の物置から

井泉水保存の紙袋数個が発見され、

散逸と思われていた放哉の句稿、それも小浜、

小豆島関係を主とする二七二一句が残されていて話題となった。


小山貴子さんが整理、公表されて放哉研究の貴重な資料となっている。


井泉水による添削の跡も分かるもので、

二句は添削されていない原句のまま、

それも放哉自筆で世に残っているのである。

            



句誌 ほととぎす 同人 森田 昇


   


美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・