ようこそ若狭小浜 耕養庵へ



   


山川登美子との出会い


夫の故郷である小浜市に嫁ぎ来て間もない頃、
山川家から往診の要請があった。


父の患者さんであったのだろうか。
あいにく父は不在で、夫が往診に出かけて行った。
患者さんは登美子の兄嫁、きくさんとのことであった。



その日夫は、山川家のことや登美子のことなどを聞かせてくれた。
与謝野晶子と鉄幹を競いあった歌人というだけの知識しか
私は持っていなかったので、
こんな身近に登美子がいたということは、
大きな驚きだった。



 その後、福井大学の坂本政親先生の
「山川登美子全集」二巻が出版され
はじめて登美子の短歌にふれることができた。
年の離れた従兄に若山牧水の弟子、竹中皆二がおり、
文化に疎い私が少しづつ短歌の世界に近づきはじめた。


 登美子生誕百年祭の折には、小浜市の依頼で歌人竹中皆二が選歌をした






「髪ながき 少女と生まれ しろ百合に 額は伏せつつ
 君をこそ思へ」





「灰色に くらき空より 雪ふりぬ わが焚く細き
 野火を消さむと」



の二つの短歌に、
作曲家玉井明(弟)によって「少女」、「野火」と題して曲がつけられた。
この歌は現在五曲「芙蓉の風」、「古郷」、「をみなにて」の組曲として、
今も登美子の母校である
梅花女子大や小浜の女性コーラスグループによって歌われ続けている。





小浜は、色々な分野で活躍した偉人の多い土地柄である。
小浜生まれの歌人で、
今も生家があり
晩年を過ごしたという部屋も保存されている登美子ではあるが、
彼女のことは小浜のほんの一部の人にしか知られていない。




 小浜の人にはもちろん、
多くの方々に登美子の人間像や
さらに短歌の真価までも知ってもらいたいという思いから、
山川登美子記念短歌大会
『若狭を謳う』という催しをグループで立ち上げ、
全国に発信した。



 
凌霄山 常高寺
 (  「第2回 若狭を謳う」 入選句  四方吉郎氏  )



この催しは後に、
名称変更して『登美子倶楽部しろゆりの会』となった。


記念短歌大会は現在も続けられており、
この四月十二日には
第十二回山川登美子記念短歌大会が予定されている。



今回も選者には歌壇でご活躍されている著名な先生方をお迎えする。



 『若狭を謳う』のお手伝いをしたことがきっかけで、
小浜の中学校の課外授業などで、
"登美子"についての講義をしたが、
小浜にはこんな素晴らしい方がいたのかと、
瞳を輝かせて聞いてくれた中学生たちに接したことは、
大きな喜びだった。



梅花女子大との交流や
大阪堺市の『与謝野晶子倶楽部』の方々との交流を重ね、
文化の輪を大きく広げられたと思っている。






 昨年四月に『登美子記念館』が完成し、
オープニングセレモニーに献花をさせて頂いた。
この時、また一歩登美子に近づけた気がした。
登美子に出会えたこと、
そして文化のある小浜に住んでいることを心から幸せに思っている。




 今後、文化的伝統の深いこの小浜から、
どんな逸材が誕生するか、将来がとても楽しみである。



                         (財)福井県文化振興事業団 寄稿より


 
登美子倶楽部しろゆりの会会員   玉井令子


 




美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・