若狭会古


     若狭会古とは、、、     

   今のなお千年以上受け継がれている
若狭小浜の伝統文化・生活文化に出会って欲しい、
という思いを込めて付けられた名称です。

若狭小浜には、それに応える無数の優れた文化財と 
美しい民俗が残されています。


若狭の伝統文化の豊かさを知って頂きたいと思います。



駆逐艦 榎 終焉の地




 終戦から今年は六十三年目。



 先の大戦で日本人三百十万人以上、
アジアで二千万人以上の犠牲者が出た。
時の経過とともに、このような史実が風化されようとしている。



今日の日本の繁栄は,
尊い犠牲の上にある事を決して忘れてはならないと思う。
その現実を忘れさせないメモリアルが、高成寺裏の高台にある。
それは、駆逐艦 榎の慰霊碑である。



 その日(昭和二十年六月二十六日)は快晴で、
米軍機は小浜湾に停泊していた駆逐艦に朝日を背にして近づき、
朝礼のため甲板に整列していた水兵にかなりの死傷者が出た。
駆逐艦も米軍が投下した機雷に触れ大破、
マストを残して水没した。
その無残な姿は昭和二十七年頃まで市街地からも見えた。



 
 海上自衛隊の掃海艇が時々小浜港へ入港する。
掃海艇と言えば、
湾岸戦争後のペルシャ湾での機雷除去作業が記憶に新しいが、
今なお残る戦時中、日本近海に敷設された機雷
不発弾の処理を任務としている。




四方を海に囲まれた日本の船舶の安全航行が命がけで守られている。
 小浜湾は舞鶴軍港から近く、
巡洋艦や駆逐艦が避難したため、多くの機雷が投下されたと聞く。




蘇洞門めぐりの観光船が白い航跡を残して進む、
波静かな小浜湾を眺めていると、
とてもそのような恐ろしいことがあったとは思えない平和がそこにある。


                             前小浜市副市長  網本 恒治郎




   


美しい若狭を守り伝えたい・・・・・・