ようこそ若狭小浜 耕養庵へ





(小浜市民憲章 前文より)
                                            
『象が行く』

その2



 若狭小浜に着いた黒象が、京に運ばれたのは、
応永十五年(一四〇八)のことです。

京までの道がどうのびていたのか。
そして、どの道を通ったのか。謎です。


 明和四年(一七六七)、小浜の町民学者津田一助が、
「稚狭孝」全十巻を著しました。
その五巻の中に

「小浜より京にゆくに、丹波八原通に周山をへて長坂より鷹峯に出る道あり。
其次八原へ出すして渋谷より弓削・山国に出て行道あり。
又遠敷より根来・久田・鞍馬へ出るもあり。
此三路の中にも色々とわかるゝ道あり。
朽木道、湖畔の道、すへて五つの道あり」

の文章が見られます。
 最短コースを歩くのが当時の常識だったようで、
京を限定して書いているものと思われます。
現に、熊川を経て、朽木に入る道があったのですから。

 三路のうちはじめの二路は、
名田庄村の久坂から堂本に入り、槇谷を抜けて行く道です。
今考えると、ずいぶん遠回りのように思いますが、
当時の道としては、そうでもなかったのでしょう。

しかし、象が歩いたのは、三つの目の道だったと思われます。
                                        
                                      鈴木 治






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