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(小浜市民憲章 前文より)


『象が行く』

その5

 応永十五年(一四〇八)若狭に初上陸した黒象は、
どの道を通って京へ行ったのか。

当時なら、考えられる道は一つであったかもしれません。
しかし、今となると、車社会に合わせて、便利な道ができあがり、
特定していくことは難しくなりました。

 朽木谷の葛川の街道は、現在、一車線が二車線に拡幅されつつあり、
大変便利になってきました。 ところが此の道は、

「寛永十一年(一六三四)戌八月、京都二条営中にて、
少将公本国及び越前敦賀郡を賜り、若狭敦賀への要路を賜り、
別に近江高島郡内七千石を賜はる」

「この時よりして朽木谷に走夫を置きたもふ」

「保坂、朽木、坊村、椽生、八瀬等五村也。
五駅通行して京小浜十二時に事を達して滞らす」

と「稚狭考」四巻にあります。

少将公とは酒井忠勝のことで、税を取ることもあって、
その頃から此の道が、便利に利用されたと考えられます。

 象は、この時より二百年前に京へ行ったのであり、
久多の古い道を通ったものと思われます。

                        鈴木治



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