若狭会古





お初(常高院)  慈愛の寺へ

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放哉の句碑


    
浪音淋しく  一


 小浜常高寺の尾崎放哉句碑


  浪音淋しく三味やめさせて居る  放哉


句と、


  雪の戸をあけてしめた女の顔  同



をとり上げ「小浜を親しく訪れてこの二句が、小浜では一つの山場をなす作であり、

放哉漂泊遍歴のすべてを通じても、注目すべき作である」と発言し鑑賞されているのは

上田都史氏(俳人、文芸家)であり、次のようにも述べている。




「この二句は長い間つまらない句だと思っていた。

しかし、何回か見ているうちにわからなくなってしまった。

つまらないとわからないとは別のことである。



(略)放哉について書いたものはいろいろあるが、

この二句について書いたもの、

この二句が背景としてもっているものを述べたものを知らない。



(略)ところが、いま、小浜を訪れ、千本格子の町に立って、

はたと、この二句を諒解することができた。

これは、千本格子の女の句である。」




「雪の戸を閉めてしまって、なくなってしまった女の顔のむなしさ」

「三味をやめさせて、遠く魂に寄せて来る潮騒に放哉は慟哭しているのではないか」

「どう工面したか、乏しい銭若干を懐中にして憑かれたように千本格子の一画へさまよい出た

放哉が髣髴する。



むなしさを満たしてくれるものは酒や女ではない。」

「しかし、それがなければ放哉のこころは壊れてしまう。

一時ではあるが、それによって」

「荒廃しようとするこころをやっと支えたのである。」







   句誌 ほととぎす 同人 森田 昇




   


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