佐久間艇長の略歴

明治 十二年 九月十三日、福井県三方郡八村(現三方町)北前川
                  の佐久間家 次男として生まれる。
同   十八年 四月、公立明倫小学校へ入学。
同   二十年 五月、三方郡立四番尋常科八村小学校へ転校。
同 二十二年 三月、尋常小学校率業。引き続き温習科入学。
同 二十四年 三月、温習科修了。
          五月、三潟尋常高等小学校第二学年入学。
同 二十七年 三月、高等小学校(修業年限四年)卒業。
          五月、福井県尋常中学校小浜分校へ入学。
同   三十年 五月、成績優秀により特待生となる。


同 四十二年 十二月 七日、第六号潜水艇に転乗を命ぜられる。
同 四十三年  四月十五日、山口県新湊沖で第六号潜水艇による
                   半潜航訓練中沈没、殉職、
                   (享年三十歳)
           四月十七日、第六号潜水艇引き揚げられる。
                   同夜、艇長の遺書が発見される。
           四月二十日、艇長遺書が公表される。 殉難十四
                   烈士の海軍公葬が、呉市海軍墓地
                   営まれる。
           四月二十六日、挺長郷里の前川神杜において村葬
                    執行。佐久 間家墓地にて亡夫人
                    の遺骨と同坑に埋葬される。





佐久間艇長の最後をしのぶ


明治四十三年四月十五日午前九時三十分、
母艦歴山丸を離れたのは、
福井県三方町出身の海軍大尉佐久間勉を艇長とする
国産第一号第六潜水艇である。 乗組員はわずかに十四人。
ハッチを閉める前、艇長は歴山丸に対して手を挙げ、
それにこたえた艦橋の佐藤兵曹が見た艇の最後であった。

時に午前十時、その後青信号途絶え、
歴山丸から海軍省あてに
「沈降せしまま浮出せず」の
電報が発せられたのが午前十一時であった。
その時こそわずか八轟(ひろ)の海底にあって、
必死の浮上作業が続けられていたのである。

「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ラ殺ス、
 誠二申訳ナシ"サレド艇員一同死二至ルマデ、
 皆ヨクソノ職を守リ沈着ニ事二処セリ」


から始まる悲痛な叫びとも思われる遺書が
書きつづられていたのである。
さらにこの失敗を誤解なく、
将来発展研究に全力を尽くされるよう訴え、
沈没の原因を明細に書き記していた。
艇長の人生わずかに三十年。
その間慈母の死、さらに愛妻の死、そして
今自らが直面する死の世界への無常観がしのばれるのである。

古人は「時は金なり」と言う。
平々凡々いたずらに馬齢を数えたものへの警旬だろうか。
艇長の時は秒針の鼓動であり。命の脈動であった。
艇長の命を支えた時計を佐久間記念会館に拝するたびに、
死してなお時を刻んでいたのであろう崇高な最期がしのばれる。

元三方町佐久間艇長顕彰会会長
                   小堀源治郎






写真提供   三方町教育委員会







佐久間大尉を傷む歌
                
ひんがしの国のならひに死ぬことを誉むるは悲し誉めざれば悪し

勇ましき佐久間大尉とその部下は海国の子にたがはずて死ぬ

いたましき艇長の文ますら男のむくろ載せたる船あがりきぬ

やごとなき大和だましひある人は夜の海底に書置を書く

海に入り帰りこぬ人十四人いまも悲しき武夫の道

                        与謝野晶子




佐久間艇長の歌

 花は散りても香を残し
  人は死しても名を残す
  あつぱれ佐久間艇長は
  日本男子の好亀鑑

 時は四月の十五日
  艇長部員を引率し
  呉沖遠く乗り出でし
  船は第六潜水艇

 沈みしままに浮かばずと
  悲報天下に伝わりて
  眉をひそむる同胞の
  驚きうれいいくぱくぞ

 間もなく所在をさぐり得て
  引き揚げ鉄扉を打ち破り
  見れぱいたましあなかなし
  呼べども答えぬ十四人

 司令塔上厳然と
  指揮せるままに艇長は
  生けるが如く死につきし
  最後の雄々しさ勇ましさ

・・・・・・・
・・・・・・・・・・


 艇長生地は福井県
  海軍大尉名は勉
  勅して位階を進めらる
  枯骨に花の誉あり






日本人としての誇りと自信へ、涙をもっていざなってくれる
佐久間艇長遺言は三方町にある佐久間記念館に展示されています。





写真提供   三方町教育委員会(平成16年4月15日)

2004−4−15
英国武官サイモン・チエルトン海軍大佐


海上自衛隊舞鶴音楽隊〜




小浜といふ町は・・・・・


美しい若狭を守り伝えたい・・・・