〜とも生き とも死に〜



お釈迦様の教えを最も純粋に直属に受け継がれたと、
世界でも評価の高いのがチベット仏教です。

その最高指導責任者がダライラマ法王です。

ダライラマ(チベット仏教第14世)法王のお言葉に、
次のようなものがあります。


「全ての有情(生きとし生けるもの)を
母であると認識することから始めて、
その母である有情から受けてきた恩に気づくこと、
そしてその恩に報いようとする心を養うこと、
これらの段階を踏むことによって
全ての有情に対する慈悲の心が育まれるのである。」


お言葉にも、やはり恩が出てきたのです。

そこからお釈迦様が説かれた慈悲につながります。







恩とは、今の私がいったい誰のおかげで成り立っているのか、

ということです。

慈悲は、それではこれからどうして生きていけばよいのか、

ということです。




人は決して一人では生きられません。

他(人・物)から奉仕されるのが恩、
また他に奉仕をして他を生かすのが慈悲でしょう。

自と他が互いに関わり合って、はじめて万物は存在できるのです。

人間の「間」という字は、隙間とか隔たりという常識を超えた、
宗教では“めぐりあわせ”という意味です。

すべてが不思議なめぐり合わせ、その恩を重んじる人こそ、
真の人間といえるのです。



仏典中「恩を知る人」の原語はカタンニュー(パーリー語)で、
直訳すれば、「なされたことを知る者」となります。

漢字の恩が、原因を心にとどめるという構成であるのに、
よく一致しています。

恩とは、何がなされ、
今日只今の状態の原因は何であるかを、
心に深く考えることです。




今の自分が、いったい誰のおかげで、
ここでこうして満足に暮らしていけるのか?
父母の恩に始まって、先祖の恩・先生の恩・食物の恩・自然の恩、
そして森羅万象の大宇宙の恩を、深く心に念じていきたいものです。





そしてはじめて命の尊さ、命の重み、おんいのちさまが実感できるのです。












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美しい若狭を守り伝えたい・・・・