若州小浜藩京都屋敷跡

          


小浜藩邸京都屋敷

元和九(1623)年三代将軍家光は腹心の酒井忠勝に命じて、
二条城の南西端に酒井家の京屋敷を造らせた。
有名な後水尾天皇の二条城行幸のさいに、
忠勝等の宿舎にしたのであろう。

二百五十年間、明治維新で新政府に収公されるまで、
大老一.老中二・京都所司代三を輩出した譜代大名、
若州小浜藩京都邸としての使命を果たすのである。

敷地は時の流れにより、外郭に少々の出入りがあったとはいえ、
京都市中京区西ノ京池ノ内町一帯で、東西二百二十メートル
神泉苑町通から知恵光院通まで、南北二百七十メートル
御池通から三条通までで、その西側に家臣の屋敷がつづき、
約二万坪に及ぶ広大な屋敷であった。




小浜藩邸と最後の将軍徳川慶喜

慶喜は、若き将軍家茂を後見するため将軍後見職に任じられ、
開国と壌夷、幕府と朝廷との接点を求めて
文久三(1863)年一月上洛、かねて徳川家と関係の深い東本願寺に入る。

しかし、開・鎖を巡って沸騰する国論のなか、
朝廷との交渉に寸暇を惜しむ慶喜にとって、
東本願寺では御所が余りに遠すぎて不便であった。
たまたま将軍後見職を命じられた前年の文久二年六月、
所司代小浜藩主酒井忠義は同年四月の寺田屋事件への対応や、
安政の大獄に関与したことを咎められて罷免され、
閏八月に隠居、十一月には蟄居を命じられ、
従って小浜藩邸は空き屋敷になってしまう。

そこで慶喜は徳川家とは関係深い譜代小浜藩の
京都屋敷の提供を受ける事となったとう。
時に文久三年十二月二十一日であった。
翌年、禁裏守衛総督となり、慶応二(1867)年
十二月五日遂に将軍に就任する。

そして二条城に人ったのは翌三年九月二十一日であった。
この文久三年十二月から慶応三年九月まで三年十カ月、
幕末の動乱期を小浜藩邸を本拠として、
参与会議など重要案件対策の拠点としたのである。
慶喜は将軍としての大半を小浜藩邸で起居し、
二条城ではわずかニカ月、大坂城も一カ月に満たない。
小浜藩邸は世に御池邸、後見邸、若州屋敷、
京都旅館とも称せられていたと言う。

このように見て来ると、この三年十カ月は、
今でいえば総理大臣官邸ともいえるものである。
慶喜は小浜藩邸を出て二十日後に、大政奉還を二条城で表明している。
この経過を見るとき大政奉還の構想は
小浜藩邸で熟考されていたと言っても過言ではない。

山口県萩市の松陰神社の境内には佐藤栄作総理大臣の揮毫で
「明治維新胎動の地」なる大きな碑が建てられている。
私は、小浜藩邸跡こそ「大政奉還構想の地」として
両立する維新史上の重要地といわなければならないと思う。
慶喜の決断は京都、大坂、江戸を戦火から救い、
最小ともいえる犠牲で新しい明治維新の夜明けをもたらしたのである。



小浜藩邸跡地に碑の建立を

平成十年NHKの大河ドラマは「徳川慶喜」であった。
ドラマの後半しばしばテレビの画面に「小浜藩邸」が登場した。
私は「小浜」なる文字がこれほど、
全国に向け一斉に放映されたことを見た事はない
(もっとも今日不幸な拉致問題での報道になっているが)。
早速、小浜藩邸京都屋敷の歴史を調べた。
紛れもなく一橋慶喜から徳川慶喜へ、幕末の三年十ケ月、
慶喜は小浜藩邸を住居としたのだ。




平成
十四年七月十日小浜市主催の除幕式の日が来た。

小浜市長の式辞、市長より開陽堂横田店主らへの感謝状の贈呈、
地元から小浜市長へ花束贈呈、来賓祝辞、しばしの歓談があって、
私が終わりの挨拶に立った。

「歴史はややもすれば勝者に傾きがちである。
この池ノ内町は単に小浜藩邸のみでなく、
萩市の維新胎動の地と共に大政奉還構想の地として、
長く日本の歴史に刻まれるべき極めて重要な名所である。
この機会に池ノ内町の皆さんにより、
広く全国に発信されることを期待したい」と申し上げ、
開陽堂横田
店主を始め、
ご協力頂いた関係の方々にあつい感謝の言葉を述べさせて頂いた。
私にとってこの様な立派な除幕式にして頂くとは考えてもみなかったのである。



ところで、池ノ内町には何百世帯もの方々が住んでおられる。
開陽堂店頭に建立することについて、町内会長さん、
各組長さんを通して住民の方々の了解を頂くことも
大変であったと推察される。
除幕式に参加された地元の人で、歴史に造詣の深い方もあり、
碑の建立を契機に地元でも今後の研究が進むものと期待している。



史実による正しい説得力が、過去の新しい歴史像を生み出すのであろう。

幕末の小浜藩の動向にも従来に無い新しい視点が必要なのではないか。

若州小浜藩邸跡の碑が何故今日まで建てられることがなかったのか?、

今後の研究により、

郷土の維新の歴史に何らかの新たな示唆が得られることを期待したい。



                      福井県立若狭歴史民俗資料館
                             館長   中島辰男 




平成16年3月21日

福井県立若狭歴史民俗資料館郷土史講座より


http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/chizu/chizutop.html

http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na122.html

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