木簡と御食国若狭

◎木簡とは?

古代において紙が貴重品であった頃、
文字などを書き記すために用いられた木の札のこと。

文字の使用は二世紀末頃の弥生時代に見出される。

五世紀代には中国の漢文を取り入れた文字の使用が始まる。

七世紀後半には宣命体(天皇の言葉を書き記した文体)に変化。

大宝元年(701)、大宝律令制定、
律(刑法)と令(行政法)による政治が開始される。
=事務処理量の増大。
しかし、膨大な需用に対応するための紙は貴重品であった。
=木簡の登場。(中国では漢代より竹簡)


◎木簡の特質

1 紙より丈夫。

2 削ることにより何度でも使いまわしができる。

(裏を返せば信用の必要な文書には不適当。)

3 木簡の材料となる杉、檜は比較的入手が容易。

4 歴史資料としての木簡は実際に使われていたものが出土するので、
後世の改竃もなく、文献のように、
筆者や為政者の主観や意図が入り込むこと、もない。



◎木簡の種類

文書木簡
(役所での事務処理用…勤務評定、物品の納入や支払い)

★ 荷札木簡
(移動する物品白体に付ける荷札・絵符・送り状)
その他(呪附木簡、漢詩木衡など)


◎荷札木簡に見る律令制下の若狭の状況

奈良時代の税種

 (田の面積に応じて課税、収穫量の約3%の稲を納める。)

 (正丁(21〜60才)の頭数に対して課税。1年に10日の労役だが、.
実際は米、布などを代納した。)

調 (男子のみに課税、各地の特産物)


他に雑揺、出挙、中男作物、兵役、仕丁など様々な税有り。


 (律と令には規定のない税であるが、若狭国は伊勢志摩あたりと同様に
蟄貢進の国としての役割を担っていたらしい。=御食国若狭)

蟄とは本来初物の食べ物や特産物を神仏に捧げた供え物のことであるが、
律令制下では天皇家およびその周辺の高貴な人々への貢進物を指している。

※若狭の役割を考える上で、「調」「賛」が重要。







・若狭国遠敷郡青里御蟄
      多比酢壼□
・秦人大山        

(青の里より秦人大山が鯛のすしをおさめました。)

※本木簡は昭和38年に発表されたもので、
若狭の蟄木簡出土例としては初例。





御蟄
(復元模型・高浜町郷土資料館蔵)

高浜町が「御食国(みけつくに)若狭」の
中心地的役割を担っていたことは
間違いないとおもいます。

木簡を知ること、
それは正史に現れない
若狭の歴史を知ることに他ならないのです。




美しい若狭を守り伝えたい・・・・