熊川葛と頼山陽






頼山陽の母への手紙  「熊川葛」のことが見える





江戸時代の有名な儒者、頼山陽が、広島にいる母が病気の時、
天保元年(一八三〇年)六月三日に京都から出した手紙の中に、
熊川産の葛粉を送ったことが詳述されている。


 そこには「この度、熊川葛粉を上げ申し候。
行平(ゆきひら)にてよきほどにとき、生姜汁を沢山に入れて煮立て、
手を停めずねり候て、色スッパリ変わり侯時、火よりおろし、
少しづつはさみ切り、まるめて、
あたたかなる内に召し上がられ然るべしと存じ奉り候。
 又々あとより上げ申すべく侯。熊川は吉野よりよほど上品にて、
調理の功これあり候。
潤肺の能もこれあり候間、然るべく候」とある

(儒学者、近藤啓吾先生の御教示による)。

 親孝行の山陽が、母の病気に驚いて、
早速、京都で求めた熊川葛を送っているのである。
「葛」といえば吉野といわれる吉野葛よりも、
熊川葛は「よほど上品」といわれた晒葛が、
若狭の熊川で生産され、
出荷されていたことを決して忘れてはならない。
 

この意気込みに燃えて熊川では、
戦後低調となっていた葛粉の生産に、
有志たちが相集まって葛根の掘り起こしから晒葛の精製まで、
力を入れることとなった。
そして現在は、ただ一軒ながら伝統的な生産が、守り続けられている。


昔使用された熊川宿の判



 熊川の郷土料理として私の第一に挙げたいものは、
やはりこの葛料理である。
 くずまんじゅう、くず刺身、ごま豆腐、鱒などのあんかけ、
くずようかん、ぎんなん豆腐、などなど。 


 いつか、熊川で作られる葛料理がNHKテレビで全国に紹介されたこともある。
 やはり、みんなに最もなじみ深く、てっとり早いものは「くずまんじゅう」であるが、
熊川のそれは昔から中に小豆の餡を入れないで、砂糖をかけて食べるのが特色であった。




 京都の和菓子や精進料理の名声も、
若狭の熊川葛に負うところが大きかつた、といわれる。

   


郷土史家 永江秀雄