熊川宿物語(其の弐)

◇京から伝わった踊り◇

 熊川には、大正の初めごろまで「てっせん踊り」という民踊があり、
毎年お盆によく踊られた。



古老の話を総合すると、
この「てっせん踊り」は、
昔、京都の八瀬・大原から伝わったといわれ、
特にその音頭は優雅で、ゆるやかな踊りであったらしく、
ある老人は
京のお公卿さんの踊りを想像させるような踊りであったといっていた。




現在、お盆などによく踊られる熊川音頭は、
明らかに江州音頭の流れを引いており、
一人の音頭取りを中心に大太鼓・三味線に合わせて、
賑々しく踊られるのに対し、
「てっせん踊り」は、楽器をいっさい使用しなかった。







 踊りの輪の真ん中に五人ぐらいの音頭取りが床几に腰を掛け、
声を合わせて音頭を取った。
踊りの輪の中にも数人の音頭取りがいて、
踊りながら声を合わせた。
中央の床几には角樽を据え、
酒を杓飲みしながら音頭を取るのがならわしであった。


踊りは老若男女を問わず参加し、幼い子供を内側に二重三重、
時には七重もの輪になって夜明け近くまで盛大に踊った。



場所は、いつも踊りに都合のよい広い境内を持つ寺院で行なわれたが、
古くは町の盛り場ともいうべき街道の広場でも踊ったというから、
まことに悠長優雅な話である。



 しかし、この「てっせん踊り」は、年月の経過と共に地元の熊川でも、
ほとんど忘れ去られていた。


ところが、作家の水上勉先生が熊川を訪問された時、
「昔、ここで何か民俗行事がなかったのかな」と尋ねられた一言に触発され、
いろいろ調べる間に古老から「てっせん踊り」のことを教えられ、
幸い「音頭集」も発見できた。




その後、京都の一乗寺の里で、今もこれが踊られていることがわかり、
熊川の人たちが真剣に、その熱心な指導を受け、
八十数年ぶりに「てっせん踊り」は熊川に復興された。




現在、熊川では毎年お盆の八月十五日の夜、
「てっせん踊り」が「熊川音頭」と共に踊られている。

                                       郷土史家  永江秀雄



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