最近の高校野球について思うこと
〜若狭高校野球部の甲子園出場を願って〜


青池クッキングカレッジ 校長  領家亮一氏


 
私の若狭高校野球部監督の時代(昭和四十年秋〜四十四年三月)は春一回、
夏二回の甲子園出場に、国体優勝と大へん幸運であった。

その当時を振り返ってみると、
やはり好投手に恵まれてまれていたのが大きな原因だったと思う。


四十二年春の選抜では川藤幸三(元阪神タイガース、外野手)、
同年夏と、四十三年夏、
それに国体優勝の時の乗替寿好(元西鉄ライオンズ、広島カープ、投手)など
プロ野球にドラフトきれるほどの力を持った選手がいた。
もちろん、彼等だけの力で勝った訳ではなく、
他の選手達も地味だがよく努力し活躍したことは当然である。

しかし、三回の甲子園出場も何れも1回戦で敗退という不本意な結果に
終わったことは残念であった。

だが、その口惜しさを四十三年秋の国体で選手達が見事晴らしてくれた。
二国戦で秋田市立高、準決勝で夏の優勝校の興国高、
そして決勝では松山商を四対一で破り優勝の栄誉に輝き、
それまでの溜飲を下けることが出来た。


これらのことは、私の監督時代の懐かしい思い出である。











昭和42年度
第39回全国選抜高校野球大会
(3月31日〜4月7日 甲子園球場)
1回戦 報徳学園 9 − 1  若狭高校


第49回全国高校野球選手権大会
(8月11日〜8月20日 甲子園球場)
1回戦 武相 3 − 0  若狭高校


昭和43年度
第50回全国高校野球選手権大会
(8月9日〜8月22日 甲子園球場)
1回戦 北日本学院 1 − 0  若狭高








 第23回福井国体で初の全国制覇

夏の甲子園で一回戦に敗退した汚名を挽回せんものと、
若狭ナインが領家監督のもとうって
一丸となって猛練習に耐えた成果が、
本県高校野球史上初の国体優勝の快挙を成し遂げたのである。










美しい若狭を守り伝えたい・・・・