小浜嗷訴見聞録


天保太平記 解題

戦後、もと若狭藩主酒井氏より酒井家文庫が小浜市へ寄贈されたが、
この『天保太平記』−小浜嗷訴見聞録−(箸者不詳)は、
その文庫の中にふくまれていたものである。

この『天保太平記』は、
一八三三年(天保四)若狭小浜において起きた、
百姓の打ちこわしの模様を記述したものである。
小浜では、天保四年より十年ほど以前から、既に米価が騰貴し、
一八二二年(文政六)全国的な旱魃、
一八二五年(文政八)東北地方の凶作などの影響をうけて、
小浜へ廼漕される米が、いちじるしく少なかった。
それにもかかわらず、小浜町の米商人の中には、
暴利を貧る者がいて、世情不穏となり、小浜町奉行は、
米の積み出しを禁じ、又藩主も不当な売買をしたり、
無理な買締めをする商人を見付けたならば、
内密に届け出るよう布達を出している。
一八二八年(文政十一)にも同様に米価騰貴して
町の米商人が世の悪評をかっている。
この様に、天保以前、既にこの町の経済は
一部米商人によってゆれ動き、百姓始め一般町民は、
米価騰貫に苦しみつづけていた。
天保四年十一月十三日より、二目間つづいたこの百姓の打ちこわしは、
当時の一般商人には大衝撃だったと見えて、
現在残っている二・三の商家の文書をみると、
商売上の記事中、天保の処には、打ちこわしの事が、
メモの様に書きしるされている。
この商家の内、吹田善兵衛文書によると、
お払い米の事について次の様に書かれている。
…… ……………… 

美しい若狭を守り伝えたい・・・・