足利氏と安国寺について

全国安国寺会・・・・・・・・・会長
安国高成寺住職  小牧浩哉師



青井山高成禅寺のいわれ



 神武天皇から第九十七代にあたる光明天皇の時世、

暦応二年(一三三九年)に将軍足利尊氏公が

天下泰平を祈願して、

全国六十余りの国に安国寺を建立しょうとして、

当若狭の国においても霊験あらたかな地を探したところ、

あるお寺の旧い跡地を見つけました。

これが青井山の麓にある観音様のいらつしやる地、

即ち、現在の高成寺の地でありました。


観音堂

木造千手観音立像



 そこは、まるで南の海にあるという

普陀洛(ふだらく) 山(八角形で観音様が住むという山)を

この地に移して来たような霊地だと感じた足利尊氏は、

大変喜んでこの他に初めて仏像を収める伽藍を建立し、

京都から南禅竺仙梵仙禅師を呼び、

開祖としてここを安国禅寺と名付け、

更に観音堂を再建して改めて普門殿と名付けられました。

それより以降は朝夕、香灯が絶えることなく、

お祈りやお詣りも怠ることなく続きました。


安国高成寺開山





大年和尚



 その後、康永三年(一三四四年)、大高伊予守重成が、

この地の守護職となり、将軍足利尊氏の命を受けて

安国寺を再興する折に、どうか自分の姓と、

おくり名の二字 (高と成)を安国の下に加えて下さるよう

願い出たところ尊氏はそれを許したので「安国高成寺」と呼ぶようになりました。






寺宝   紙本墨書大高重成書状



 至徳三年、三代将軍義満公が後小松天皇の命を受けて、

この寺を直轄寺の一つに加え官寺と定め、天下泰平、

国家安全の祈祷寺とされてより今に勤行が怠らず行われております。








全国六十八ヶ寺に及ぶ安国寺は、

足利尊氏公が、夢窓国師の御教えに従って、

「安国利生」即ち国家安穏衆生利益の祈祷、

及び元弘以来の戦死者追善供養の為

日本全国(一国一寺)に安国寺を建立しようと発願し、

遂年其の目的を実現したお寺です。

www11.ocn.ne.jp/~ankokuji/ankoku.htm

www11.ocn.ne.jp/~ankokuji




美しい若狭を守り伝えたい・・・・